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2010年7月10日土曜日

「燕」にみる 『今昔日本』

つい最近、県南に赴く用事があり、ドライブがてらに車を走らせた。窓を全開にし、新緑の頃と相まって、さすが県南、若竹の香りでつつまれていた。


休憩のため車をとめた。「ふと」、空を見上げると、見慣れない鳥が目にとまった。『燕』である。


燕は巣の周り以外のところで羽を休めることは、稀である。幼い頃を想い出す。燕の視線は豊かな田園を乱舞する5~6羽の仲間たち。なんとものどかなゆったりとした時である。幼い頃はあたりまえの光景だったのだが…



1週間ほど日は変わり、市内の山に破竹採りにでかけた。そこそこ収穫もあり、さっそく持ち帰り湯がいてみた。

するとどうだろう。3分の2ちかく「ネキリムシ」にやられているのである。同行した人も例年はこんなに多くはないのだがと…。



かなりブルーになった。どうしてこんなにネキリムシが多いのだろう?ネキリムシと山菜取りのために「破竹の勢い」とは、名ばかりで、「ハゲ山の勢い」である。


そこで『燕』である。『燕』は益鳥である。『スズメ』とは対称的に穀物は食べずに害虫を捕食する。よくできた鳥である。『スズメ』との共通点は【ひと】と居る場所に営巣することである。村があったとしても人がいなければ巣をつくらないのである。

今現在、わたしの店の近くに『燕』が営巣している。日が昇ってから沈むまで、雛たちのために絶え間なく餌をもちかえる。街中の『燕』の姿は一種異様である。幸い眉山があるためか、田園地帯ではなく街路樹である。

しかしよく考えてみると、100年、200年前の『燕』と【ひと】。 どちらが変ったか?『燕』はほとんどかわっていないだろう。変わったのは【ひと】を取り巻く環境である。200年前の人がどうして、飛行機が飛ぶなどとは思っていなかっただろう。

『燕』の進化はゆっくりとしている。【ひと】を取り巻く環境は日進月歩である。『燕』と【ひと】は共存共栄である。歩調を合わさなければ…

自然界からでているサインを読み取らなければ… 


街路樹の乱舞より 破竹の山の乱舞が観たいものだ。



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